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2008年9月

2008年9月15日 (月)

笠間城、土浦城

台風が来ているみたいですが、日本海にある高気圧が頑張ってくれているおかげで関東地方の連休は雨に降られずに済んだようです。

その晴れ間を縫って、久々の城巡りツーリングに行ってきました。

茨城県の常磐道は、ここ3年ほど仕事の関係で頻繁に使いますが、この方面の城巡ツーリングは初めてです。

今回の目的地は笠間城と土浦城。まずは笠間城を目指します。

流山から常磐高速に乗り、北へ。普段は車で通い慣れているせいかそれほど距離感は感じないものの、やはりバイクでの高速走行は緊張の連続。途中、守谷、美野里と休憩を取りながら、友部ジャンクションから北関東道を西へ。

僕の持っている地図では友部から先が計画中になっていたんですが、この2年の間にその先桜川まで延びていました。

笠間西で高速を降りて国道50号を東へ戻ります。

笠間と言えば城跡より、日本三大稲荷の一つ、笠間稲荷神社が有名です。で、まずはお参り。

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ここでのお参りの作法は「二礼、二拍、一礼」です。

次に腹ごしらえ。参道にあった古風なたたずまいに惹かれて入ったのは蕎麦屋です。

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太めの腰の強い蕎麦が店の雰囲気とマッチして好感もてました。Imgp0618s

そう言えば一人でツーリング行くと食事は必ず蕎麦屋ですね。仕事の外出先での食事も蕎麦が多いし。なんだか骨の髄まで日本人である自分を改めて実感してしまいます。

笠間城は笠間稲荷の東にある佐白山に築かれた山城です。鎌倉時代、下野の豪族宇都宮時朝(ウツノミヤトキトモ)が、笠間の庄寺領として支配していた正福寺を滅ぼして、その寺の後に建てられました。時朝は後に笠間姓を名乗り、戦国時代は北条氏に属し北条氏と共に滅亡。城は江戸時代に入り、松平、小笠原、浅野、井上、本庄氏らを城主として迎え、延享四年(一七四七年)牧野氏が入封して幕末に至ります。

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城跡は一応公園になっているようでしたが、うっそうとしていて人影もなく、かなり寂しい様子でした。

この佐白山への道は一応アスファルト舗装されていて、駐車場まで行けるんですが、雨上がりで所々コケが生えてて、大型バイクにとってはちょっと怖い路面状況で、ビクビクものでした。

Imgp0635s 土浦城の築城は室町時代後期、永享年間(1429~1440)、若泉氏によるものとされています。その後、常陸国守護職小田氏の武将菅谷氏の居城として、たびたび小田氏を助けることになります。

戦国後期、常陸国は佐竹氏の支配下になり小田氏もその軍門に下ることになります。土浦城主の菅谷範政は小田原の役で豊臣への参陣を拒んだため蟄居後、真壁氏へのお預けとなり、城は徳川家康の次男、結城秀康の支配下のものとなります。

Imgp0627s 土浦城は霞ヶ浦に注ぐ櫻川沿いの低湿地帯を利用して作られた水城で、その姿が水に浮かぶ亀のように見えたことから別名亀城(きじょう)とも呼ばれます。Imgp0626s Imgp0635s_2

本丸の水堀には亀の群が甲羅干ししていました。この亀は日本の在来種ではなく、ミシシッピー赤耳亀と言う外来種でした。「亀城に亀の群」とは風情があるように見えますが、繁殖力の強い外来種であるところが何とも象徴的な感じです。

本日の走行距離、223キロ。080914s

今回のツーリングで、生まれて初めてバイクで時速160キロを出しました。カウルが着いているとは言え、必死でハンドルにしがみついているだけでした。多分、もう二度とやらないでしょうな。「いい歳していい加減にしてくれ」とは家内の弁でした。僕もそう思います。

2008年9月 2日 (火)

バイクで行きたかった史跡

下関訪問はバイクで、と言うのが当初の目論見でした。さすがに東京から自走して、とは考えませんで、バイクを運んでくれる業者を探したり、フェリーを検討したりしたんですが、今回は家族旅行を兼ねていたので、自分だけバイクでと言うのははばかられて、結局新幹線を使う普通の旅行になってしまいました。

「男には冒険が必要だ!」なんて息巻きましたが、勢いだけで行動できる立場でも無いんですね、すでに。

それでもせめて城跡や戦国武将に関わる史跡くらいは、と言うことで、下関の後に、宮島、そしてその翌日には広島城を訪れました。

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宮島と言えば「日本三景」の一つ、そして平清盛が思い浮かびますが、戦国時代に名を残す有名な合戦が行われた場所としても有名です。

「厳島合戦」は戦国中期、中国地方に覇を唱えていた大内氏を滅ぼした陶晴賢(すえはるかた)を、数において劣勢の毛利元就が嵐の中の奇襲で破ったもので、日本三大夜戦の一つに数えられるものです。この合戦の後に毛利氏は大内氏に代わり周防、長門へと版図を拡大していくことになります。

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広島城は天正18年、毛利輝元により築城され、関ヶ原後には東軍で一番やりを付けた福島正則が49万国を領有する大大名として入封しましたが、その後江戸幕府により福島家が改易になると、浅野氏が紀伊から転封され、幕末まで続きました。

城跡や合戦の話は息子達や嫁さんに話しても、ほとんど反応はありませんな、まぁ仕方のないことですが。。。一緒に回っただけでも良しとしますか。

今回の旅行では、巌流島、厳島、広島城と、以前から行ってみたかった史跡をとりあえず回れたので、まぁ満足ですが、欲を言えば、一人で、しかもバイクで行きたっかたなー。

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