「お上」と言うフィクション
時代劇が好きな日本人は多い。
僕も「水戸黄門」はさすがに見ないけど、「鬼平犯科帳」は原作も読んだし、中村吉右衛門の「鬼平」は原作から飛び出てきたような役作りで今でも好きだ。
また2年ほど前にNHKでやっていた「柳生十兵衛七番勝負」は全部見た。
日本人の時代劇好きの精神的背景には「お上信仰」があると言われている。
庶民が困っていると「お上」は必ず助けてくれる、「お上」は常に弱い者の味方で間違ったことを正してくれると言う願望。
そう言う願望が時代劇には反映されている。「水戸黄門」しかり、「大岡越前」、「暴れん坊将軍」しかりである。
悪者を退治する際には必ず「葵の御紋」をバックに成敗する。
ちょっと前のブログでも書いたけど、アメリカ人は政府さえ信用しない。政府が市民に銃を向けた時に戦う権利を守るために銃を持たせろ、と言う発想。
「それは行き過ぎだろ」と思っていたけど、最近少し考え方が変わってきた。
そう、「お上信仰」はやはり「信仰」でしかないと。
役人だって間違うし、自分たちの利益を一番に考えることだってある。その場合にはやっぱり自ら「銃」を持って戦う気概がないといかん、って。
最近、身を以てそれを経験している。「鬼平」や「大岡越前」はやっぱりお芝居の中のお伽話でしかない。
あ!
だからせめて芝居やお伽話の中でくらいは、「頼れるお上」がいて欲しいから、みんな時代劇が好きなのか!
「でも、フィクションと現実は厳然と区別が必要だな、今更だけど。
そう言えば「泣く子と地頭には勝てぬ」と言う諺もある。昔の人は当然現実を正しく認識してたってことか。


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